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コーチ部屋

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一世一代

投稿日時:2016/11/11(金) 21:11

【三日坊主 ~コーチ部屋の投稿が3回しか続かないこと~】

 自らの怠惰な性格を深く呪いながら4回目の更新です。

 準決勝の道の先で、きみたちを待っていた「景色」。喚声と笑顔と涙と抱擁のファンファーレが渦巻く、そこはまるで桃源郷。「努力」の通行手形と引き替えに、未踏の地に「歴史」の一歩を刻んだ選手、マネージャー、全部員。誇りを持とう。人生史上の快挙を成し遂げた自分自身に。感謝をしよう。きみが歩く道を照らし続けてくれたすべての人に。そして心からおめでとう。

 このまま夢見心地でいるのも悪くない。安堵と疲労に身を委ね、少しの間深い眠りに就こうとするきみを、揺り起こす人間はきっといないだろう。いや…。

 ラグビーと再び膝を交えるようになり、半年以上が過ぎた。目まぐるしく過ぎていく日々。人を教えるということ。作って、壊して、直して、捨てて、ふりだしに戻る…。「大事なこと」なら知っていると思っていた。ラグビーの中で、社会の中で学んできたと思っていた。今日きみたちを前にして、昨日とは変化している自分の価値観に、驚き、そして感謝している。

 勝利至上主義。それがすべてだろうか。勝つことが一番ではない。その過程に意味があって、最後に届かなかったこと、辿り着けなかったことを決して否定してはいけない。4月にみんなと出会ったとき、そのことを伝えたかった。今もそう思っている。思っているけれども少し違う。先週の「死闘」を経て、その先の「景色」を見て、強く感じたことがある。

 「勝利を絶対としない努力は、心震えるような人生を与えてはくれない。」

 ワセダラグビーが、いつの世も観る人を魅了し続けてきた理由が、やっと少しずつ、わかりかけてきた。そのシンプルなアイデンティティに4年間も身を置きながら、なんだか遠回りをしてしまった。と同時に、すぐ隣に、みんなの前に、誰よりも真っ直ぐに熱く、そのワセダイズムを継承してきた人がいたことに、改めて気付かされる。

 眠りに就こうとするきみの耳元で、高らかに鳴り響く目覚ましの声。3年間、ずっときみたちを叩き起こし続けてきたその怒号。延々と繰り返されるスヌーズ機能。打ち壊す?電池を抜く?伝統と信頼の「MADE IN WASEDA」の秒針を狂わせようとあがいた格闘の日々?気づけばいつからかその時計と同じリズムを刻むようになっていたきみたちの鼓動。これが最後のアラームかも知れない。「勝利を掴め」と鐘を打つ。満身創痍でも。疲労困憊でも。その人の下に、奮い起たなかったら男じゃないだろう。

 楕円球の行方を支配する術を、高度な「知」性を授けてくれた。恐怖を前にしても怯まない勇気を、溢れる情「熱」を注いでくれた。すべての退路を断ち切って、「勝利」に続く道だけを走れるよう導いてくれた。最後にこの人を、男にしなければいけないだろう。

 覚悟を決めろ。自分の人生を睹して闘いに向かう決意を。

 魅せてやれ。借り物ではないきみたちの手で作り上げたワセダを。

 荒ぶれ。一生涯忘れることのない60分間となるように。

 いざ、部員全員、心を一つに。決戦の聖地へ。

【一世一代 ~一生のうちにたった一度のこと~】

気宇壮大

投稿日時:2016/06/17(金) 06:16

さっそく更新が滞ってしまいました。
さて、6月。太陽の光と恵みの雨を浴びて、生物たちが満ち満ちていく様子と、“鬼”のフィットネスを提示されて、低く低くうつむいていくきみたちとのコントラストが鮮やかに映える、そんな“熱い”夏がスタートです。
 
先生が最近、冷やかし程度に練習に参加するのは、「生涯スポーツ」と「悪玉コレステロール撲滅」の観点によるものですが、きみたちはこれから行っていく「戦術」に耐えうる器を、この短い期間で完成させないといけません。辛いです。でも、辛いことを楽しく、楽しいことを真剣に、です。
 
さて、少し前のミーティングで「尊敬」という話がありました(覚えていますか!?)。前回の「責任」に引き続き、これもまた難しい言葉だと思います。今回は大学時代の思い出を少し。
 
ラグビー部では、4年生が卒部する最後の日に、下級生が白い練習着にメッセージを書いて貰う、という伝統があります。今日までの人生の中で「宝物」を選ぶとすれば、1年時に同じポジション(バックスリー)の4年生に書いてもらった練習着は、その1つです。文字が薄くなる度、何度もなぞり直して(着なければよかったのですが)、忘れないようにした言葉の数々は、その後の僕の行動の指針となり続けました。
 
当時の感情を「尊敬」と呼ぶのならば(多分そうなのでしょう)、それは僕のラグビー人生において、とても希有で素敵な時間でした。僕の憧れたその人たちは、偉ぶる様子は微塵もなくて、部室で聞こえてくる話はいつも面白くて、そして、フィールドに立てば、仲間から絶対の「信頼」を寄せられる存在でした。「プレーヤー」としてはもとより、とても大きな「人間」としての魅力を放っていました。
 
周囲から「信頼」されるということ―。入部式で宣言した言葉を今でも思い出します。「歴代のWTBの先輩に負けないプレーヤーになる」。大言壮語の後で、4年生と共にプレーした1年間、自分は「信頼」に値しないということを、試合中にボールが回ってこない、という現実で突きつけられました。だからこそ、その人たちが一層眩しく見えたのだと思います。自分自身は情けなくて悔しいけれど、その背中はいつも格好良かった。4年生が去った後の残りの時間はすべて、貰った言葉を道標に、「信頼」の在処を探し続けた日々でした。
 
3年生。残り少ない時間。大きな「人間」としての“放物線”を描きましょう。きみたちが最後まで諦めずに残すその軌跡に、“虹”のような美しさを感じ取り、心を震わせる者がきっと現れます。きみを志して、次の時代を築いていく。それは変わることのない「先輩」と「後輩」の歴史。「権力」や「服従」などではない、「尊敬」の上に成り立ってきた崇高な歴史です。さあ、ここから。雨ニモマケズ 鬼ニモマケズ、ですよ!
 
【気宇壮大 ~物事に対する心がまえが大きくて立派なこと~】

 

一意専心

投稿日時:2016/05/16(月) 06:19

練習中は辛そうな顔をしているのに、練習後に意気揚々とボールで遊び出す光景はいつ見ても楽しそうですね…。
 
安心してください、皮肉ではないですよ。本当にみんなラグビーが好きなのでしょう。時間もない、ルールもない、そういう自由なボール遊びの延長線上にラグビーを捉えられたら、素敵なことだなと思います。
 
試合もまた然り。指導する立場になって思うのは、パフォーマンスの低下に繋がる心身の萎縮から選手を解き放ち、できるだけ自由にプレーさせてあげたいということです。一方で、「不安」や「恐怖」といった、手かせ足かせを外すのが容易ではないことも分かります。とりわけ団体競技において、「For the team」の旗の下、個人個人に常に付きまとう荷物、それが「責任」です。
 
僕(呼称を模索中。先生?)自身、試合前はこの「責任」にとても苦しめられました。組織の伝統と栄光を背負って、試合に臨む。臨まなければならない。善し悪しの議論は置いておきましょう。僕の感覚としては、もはや個人の意志を超えたところでうごめく、巨大な生物との対峙でした。それを弾き返す、あるいは手をとり共存していく心の強さ、柔らかさは最後まで持てなかったように思います。
 
もしも、みんなも同じような感覚を抱えているとしたら。
 
『星の王子さま』の話の中に(国語アピールを怠りません)、「責任」について語られる場面があります。
「時間をかけて世話をしてあげたからこそ、きみのバラは、きみだけの特別なバラになったんだ。」
「忘れちゃだめだぜ。自分が大切にしてやった相手に対して、きみはいつまでも責任があるんだ。」
少なくとも自分の価値観を逆転させる、とても素敵な「責任」の捉え方だなぁと感じました。
 
―きみはラグビーを好きになった。長い時間をかけて、きみだけの特別な“ラグビー”になった。そいつはその魅力できみに取り憑き、傷を負わせ、血を流させ、涙に暮れさせる。不条理で、自己中で。それでもきみはそいつに対する「責任」を持たなければならない。だから、そいつの神聖なフィールドに足を踏み入れたその瞬間から、何度仰向けにされても立ち上がらなくてはいけない。肺が焼け付くように痛くても走らなくてはいけない。絶望的な点差がついても諦めてはいけない。なぜか。それが、きみが好きになったそいつへの「責任」だから。―
 
試合において何よりも真摯に向き合うべき唯一のことは、自分自身の“ラグビー”が好きという誇りだと思います。そう思えたとき、不要な重圧から解放され、身体は少し軽くなるかも知れません。
 
そしてその先に待っているもの。僕はそいつに“素晴らしい景色”を見せてもらいました。何度も。競技人生を終えた今でも。きみたちに会えたことも一つ。だけど、それは遠いいつか、それぞれの「責任」を果たし終えたときに、その目で確かめること。まだまだ先のお話です。
 
【一意専心 ~他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中すること~】

 

機略縦横

投稿日時:2016/05/06(金) 07:39

4月から早稲田摂陵ラグビー部に携わることになった岩澤です。
GWも終わり、まだ部員のみんなを把握している最中(まだ!?)ですので、今回は少し自分のことを。
 
振り返ると、大学を卒業するまで生活の中心にはずっとラグビーがありました。その後不肖ながら教師の道を歩み始め、楕円級とはほぼ無縁の5年間を送り、今年度の顧問就任に至ります。
 
日進月歩でラグビーのシステムも変化しているようで、気付けば一人、“魔法のヤカン”を片手に、時代錯誤のラグビー論を振りかざすことのないように、と自戒する日々です。
 
指導における切り札は“経験値”。最も強くて、だけど、最も危ないカード。長いブランクは、当時疑問にすら感じなかったこと、正しいと信じこんでいたこと、自らの感覚で言うところの【危険】に気づき、ラグビーという枠にとらわれず、分析・解体・再構築させる時間をくれたという意味で、決して無駄ではなかったように思います。
 
今はまだ、自分自身は日々“ワンペア”を繰り出せるかどうかの貧弱な手札しか持ち合わせていません。それでも。比喩的に続けるならば、場に5枚のカードすべては出さないつもりです。「“スリーカード”に、“フルハウス”になる札を誰か持っていませんか?」「あればいつでも切ってくださいね?」それが言い続けている「自主性」の意味するところです。まだみんなのトランプのデザインを見たことがありません。
 
幾多の手札から、必要な時に必要な役を全員で完成させる。漠然とした理想ですが、そういう組織ができればいいなぁと思っています。
 
一応国語の免許を持っていますので、こんな調子で、四字熟語を使いながら徒然に(うわ、国語っぽい!)、ラグビーにまつわる思いを更新していく予定です。
 
今回の四字熟語 ~機略縦横~
意味 策略を時に応じて自在にめぐらし用いること。

 

Carpe diem

投稿日時:2015/02/25(水) 19:11

求めている基準をほとんどの者がクリアしてきた。
これは前日に事件があったからではあるが・・・・
それでも、クリアしてきたことで彼らが本気かどうかを示した結果である。
すべては彼らの意識の賜物。
自らを高みに連れて行くのは意識なのである。自らを律することができるか。
今日、どのようにすれば自分たちが向上するかわかったはずである。
だからこそ、求められるのは継続性と向上、改善、日々進化である。
すべては勝つために。
勝つためにできること、改善すべきことをすれば必ず良くなってくる。

 
Carpe diem
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