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津志田組3年生が語る珠玉の想い

2013/11/22

いまだにノーサイドの瞬間が頭から離れない。お前らと歩んだ日々の出来事が・・・・・・
もう一度ラグビーがしたい・・・・
お前らはどうだ?ラグビーは好きになったか?
最高の仲間は見つけたか?
最高の時間を過ごしたか?
生まれ変わっても一緒にラグビーをしてくれるか?
そう思ってくれるなら、指導者として最高に幸せだ。





『情熱なき者はグランドを去ってくれ。ここにはその可能性を信じ、真剣になれる者だけがいればいい。
己の夢に正直に、己の目標を真剣に追い求めている情熱のある者だけが立つことが許されるグランドだ。情熱なき者は周りの者に失礼だ。このグランドで涙した先輩達への裏切りだ。』
そう言い続けた3年間。
 
日本一、ワセダらしさを追い求め、雨の日も、風の日もグランドに立ち続けた。
そこには、熱があった。情熱が。
 
2年半前、何気なくグランドに来た津志田組3年生。決してこの学校に、ラグビー部に入りたくて入学した者はいなかった。
なぜなら、4年前の真島組は合同チームの危機に面していたからだ。結果という結果はなかったが、ただ、1点だけここにあったものがある。

『情熱』
 
どのチームよりもラグビーに愛情と情熱を懸ける男達が。誰よりも夢に正直に生きようとする男達がいた。
夢がなかった男たちが一つの大きな夢を持った。

『花園』
 
名前が変わっても何も変わらないと言っていた男たちが一つの球技に魅了された。その名もラグビー。
どこに魅力があるのか。それはグランドで試合を観てくれればわかるはずだ。これは、男が試される競技なんだ。仲間を守れない者がかっこいいわけがない。己の夢に真っすぐでない者が熱く生きられるわけがない。
何かを背負えない者が、誰かを優しく包み込むことはできない。
夢に正直に、共に戦った仲間だから、たくさんの涙があった。
 
この3年間ですべての景色は変わった。周りが変わったわけではない。自分たちが変わったのだ。
ワセダラグビーという列車に乗った。そして、あらゆる困難に向かいながら、大きくなっていった。
夢のない人生は面白くない。この3年間で学んだことは人生のすべてだ。人としての熱さだ。
ワセダを背負い、その大きさに負けぬ努力を求められた。

不器用な男、頑固な男、そんな男達が身にまとっている風は気持ちがよい。
純粋で愚直は魅力で素晴らしい。
人の前で自分の夢を目標を言える人間はかっこいい。
誇り、決意、挫折、後悔、感謝などさまざまな想いが交錯する中で、出て来た彼らの3年間の珠玉の言葉。
そこに語られる言葉に嘘偽りなどない。今、明かされる津志田組3年生の心からの想い。



 


津志田卓哉(主将・CTB)

僕が高校でラグビーを始めた時はルールも分からないド素人でしたが、藤森先生のおかげでラグビーをする事が楽しくなりました。そんな時に森さんが指導しに来てくれるようになり、体作りの大切さやFWについて教えてもらい、厳しかったけど少しずつ自分に力がついていってるのが分かり、ラグビーが楽しくなりました。3年では津金さんも来て下さり、バックスについて何も知らない僕に色々教えてくれました。
僕は3年になりキャプテンになりました。
ですがキャプテンとしては足りない所だらけだったと思います。僕はチームに怒ることや熱を与えることができず、副キャプテンや同期に迷惑をいっぱいかけたと思います。それは僕の弱さだと思います。自分がもっとしっかりとしたキャプテンならもっと強いチームになっていたと思います。こんな僕についてきてくれた同期や後輩たちにとても感謝してます。
夏合宿中に怪我をしてしまいそんな中公式戦が始まり僕はグランドには立てずベンチからチームを応援していました。チーム皆が頑張ってくれたおかげで最後の常翔戦で試合に出ることが出来ましたが僕の中では悔いが残る試合でした。3年間の中で去年の東海大仰星戦と今年の常翔戦は忘れる事の出来ない試合です。去年は先輩ともっと試合がしたくて泣きました。今年は花園に行けなくて泣きました。この試合があったからもっと強く、もっと上手くなりたいと思うようになり、今の僕があると思います。

藤森先生
3年間カッコいい男としての生き方やラグビーの楽しさや厳しさを教えてくれてありがとうございました。先生が受けてくれたタックルは一生忘れません。

森さん
厳しかったけど森さんのおかげで自信が持てるようになりました。仕事がある中練習来て下さりありがとうござした。

津金さん
短い期間でしたがBKついて何もわからない自分に1から指導していただきありがとうございました。

廣瀬先生
3年間僕たちを見守って下さりありがとうございました。
後輩達も先輩や僕達の思いを引き継いでくれると信じています。3年間ありがとうございました。




 
吉田佑義(副将・CTB)

11月3日に引退してから随分と時間が経ったように思う。
思い返せばこの2年半は一瞬だった。入部した時は全然勝てず、夏合宿に行っても毎日シボられ、常翔学園に120点取られ、また、合宿に行きグランドまで走らされ、そして米道場に入り(笑)、修学旅行に行かなかったり、先輩達が引退したり、自分たちの代で副キャプテンになったり、新人戦の決勝で惨敗したり、福岡までフィットネスをしに行ったり(笑)、啓光にいい勝負したり、外周を走りまくったり、最後の夏合宿はあんまりシボられなかったり、コンタクトフィットネスをやったり、ゴキブリの館(笑)で毎週合宿したり、地獄の木曜日があったり、常翔学園に負けるまでの全てのことが昨日の様に思い出すことができます。
こんなにも、アツくて幸せな2年半を過ごせるなんて、思ってもいませんでした。
初めはこの学校に入ったことをずっと後悔していたけれど、今ではあのとき、数学ができなくてよかったと思う自分がいます。本当にこの学校を選んでよかった。そしてラグビー部に入って心の底からよかったと思います。


後輩達へ
お前らには来年の11月のこんな早い時期につらつらと自分たちの過去を振り返ってほしくない。俺たちよりも、長くラグビーを続けてほしいし、俺たちが見ることができなかった花園の景色をピッチから見てほしい。
そして、選手も、マネージャーも一丸となって俺たちを花園に連れて行ってくれ!!

廣瀬先生、辞めそうになったときにとめて頂いてなかったら、今ごろ死ぬほど後悔してると思います。ありがとうございました。そして、廣瀬先生の関西弁でのお言葉に何度も救われました。(笑)
本当にお世話になりました。

藤森先生、森さん、岩澤さん、津金さん、言葉では表せないぐらい感謝しています。こんなにもアツイ2年半を過ごせて幸せでした。本当にありがとうございました。
あんなに、走らされたことは一生忘れません(笑)

最高の同期へ
この2年半、一緒に過ごせてほんまに楽しかった。
東京に行っちゃうやつもおるけど、またグランドで会おう!!
2年半、ありがとう。
そして、これからもよろしく!!




上原 青(副将・LO)

11月3日津志田組ノーサイド
最後の笛がなったのは自分自身ボールを持ち出そうとした時に手を滑らせレフェリーにノックオンをとられその笛がなった、
その時本当に終わったのか本当に俺らはここまでなのか頭にはそれしかなかったまだやれるもっと戦わしてくれ!
どんな気持ちになっても時間は過ぎいつの間にかグランドの外で皆が崩れていたその時本当に終わってしまったんだって確信した。
思ったより泣かなかった悔しくて悔しくて悔しくてただ悔しくて涙も流せなかった。
けど、多分人生でこれ以上に感謝し泣き崩れたことはなかった。自分の恩師に握手を求めてその手を握った瞬間急に涙が溢れてきた。それは、この三年間1番僕を厳しく叱ってくれて近くで見守ってくれて指導してくれたその最高の時間が頭に走ったからだった。その時もまた本当にもう戻れない、皆とラグビーができない、コーチの人達に指導してもらえないそう思った。
しかし、そんなことに感動できてる自分は本当に幸せな人間なんだなって感じました。
色んな人に支えられて今ここにいれるそういった感謝の気持ちは今も忘れれません。
そして、次の日何時ものように朝早く起きて部活の鞄をもっていつもと何も変わらない毎日のように学校について、全ての授業を終えてすぐに走ってグランドにいきました。
グランドには自分一人、部室にも誰も来なかった、その時また常翔に負けてもうここではラグビーはできないって再度思わされました。
本当に書いても書ききれないぐらいのことが自分の三年間につまっていていくらでも振り返ると話がでてきます。その中で今1番思っていること、この三年間で1番自分の心を打った出来事は、やはり試合前の藤森啓介コーチが三年生のタックルを受けた時です。本当にかっこよかったです。
この三年間藤森コーチの指導をうけてきて早稲田らしさ、赤黒の重み、稲穂、狂気、タックル、いろんなことを教わりました。
ラグビーだけでなく私生活の面でも人間として大きくさせてもらいました。
感謝しきれないぐらい感謝をしています。
そして、その試合前のタックルで、藤森コーチにタックルに行く前に本当にこのコーチの元でラグビーができて幸せだ、この三年間苦しい時もたくさんあったけどそんな苦しい中だからこそ得れる物があることを初めて知りました。
森コーチにもたくさんFWのことを教わりました。一年生から三年生まで三年間仕事もお忙しい中週に3回以上きてもらった時期もありました。
本当に僕たちのために厳しく指導してくださり感謝しています。
津金さんはBKをご指導されていましたが、早稲田ラグビー、赤黒、などまた違った観点で色々なことを教わりました。
本当にありがとうございました。
そして、廣瀬監督
いつも怪我などをした時にご迷惑をおかけしまたインフルエンザの時も病院まできてくださって本当に感謝しています。
グランドではほとんど藤森コーチにラグビーを学んでいましたが、廣瀬監督にも私生活の面、また時にFWのことをご指導してくださりました。
ありがとうございました。
いろんな方々にご指導されて本当に幸せな日々で自分を三年間ずっと支えてくれた全ての人に感謝したいと思います。本当にこの三年間ありがとうございました。
そして、次来たるまだなに組かはわかりませんが、後輩達の代になり後輩達は自分達を超えて花園にいってくれると信じているのでご支援ご声援よろしくお願いします。





鈴木太郎(PR)

この3年間本当に良い3年間を過ごせました。僕は中学2年の3学期にラグビー部に仮入部しました。中学の頃はまだ『ラグビー』というスポーツを知りませんでした。中学3年の時に学校の名前が変わり『早稲田摂陵』になった時に藤森先生がやって来ました。それから先生が来てから練習は徐々に厳しくなっていました。そして、高校生になりいつの間にか入部届けも出さずに入部していました。
1年の時はもう~めっちゃくちゃ怒られた記憶しかありません。笑
そして2年生になり、後輩も入ってきてポジション争いが激しくなってきたので何か一つ強味になるものが欲しかったので体重を増やすことを常に意識していました。その結果体重は公式戦までには100キロになっていました。これ常に藤森先生や森さんに当時の僕たちに体重のことをうるさいぐらい言われ続けた結果だと思います。そして、FWの平均体重92キロという大学生並の体重になっていました。そのおかげで花園予選準決勝まで行けましたが、仰星に…57ー0で負けました…。この時人生初めて『負けた。』と思いました。先輩方が泣く姿を見るのがめっちゃくちゃ辛くてたまらなかったです。
卒部式で僕は白いシャツに先輩方一人一人にメッセージを書いていただいてとても嬉しかったです。
そして、ついに僕たちの最後の365日が始まりました。新人戦、決勝で大阪桐蔭に負けて準優勝しました。しかし、それはけして満足することではなく89ー0という現実を見せつけられた瞬間だった。当時の僕は早稲田摂陵の強味であるスクラムのスクラムリーダーという役職を任された。そんな自分がスクラムで負けた。それはけしてあってならない事だった。その時に『不安』というものが出た。今のままでは駄目だと感じた。
春季大会でロイヤルブルー常翔啓光との試合で僕たちは変わった。あいつらに勝つ!それだけ考えていた。
結果14ー5で負けた。確かに成長はしたが、一つのミスで負けた。悔しすぎる敗戦。その悔しさを忘れずに
最後の秋の全国大会大阪予選で昨年王者常翔学園との試合でした。今までの試合で一番気合が入ってました。結果39ー0で負けました。この瞬間僕たちの3年間が終わった…。僕はグラウンドを出た瞬間自然に涙がこみ上げてきてその場に倒れこんでしまいました。
そこに藤森先生、同期、後輩から『ありがとう』と言われたことがめっちゃくちゃ嬉しかったです。ここまで自分を育ててくれた藤森先生、廣瀬先生、森さん、津金さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。

同期、もう最高の仲間!死ぬまで付き合って行こうな!

後輩、
お前たちと過ごした2年間1年間めっちゃくちゃ楽しかった!いろいろとあったけど、こんな俺たちによくついて来てくれた!ありがとう!これからはお前たちが俺らの分まで頑張ってくれることを信じてるで!一日一日大事にしろよ!ありがとうな!

マネージャー、
おにぎりありがとう!お水ありがとう!2年間めっちゃくちゃ楽しかったで!ありがとう!




小仁基暉(FL)

自分はこのラグビー部が高校生活に等しい、と思った。
勉強はダメで、恋愛もしていない(笑)けど、部活だけは本気で取り組んだ。
高校生活の半分以上はラグビーをしていて、この3年間は「楽しい」よりも「熱かった」のほうが合っているだろう!
1年のころは、3年がいなく1.2年のチーム構成だった。
なので、いろんなチームに勝つにはまず練習であった。
その練習を、効率よく指導してくれたのは、藤森先生でした。
初めに基礎とフィジカルをしっかり鍛え、次にATやDFをチームに教えてくれた。最後に、チームに足りないところを練習した。【津志田組ならフィットネス】
そのおかげでいろんなチームに勝てたし大阪トップ6とも戦えた。藤森先生には本当に感謝してます。
まぁ話は変わりますが、『思い出はあるか?』と聞かれたら2つあると答えると思う。
1つは、福岡遠征である。
2泊3日とは思えない疲労感、筑紫高校との差そしてps2事件……(笑)多分一番しんどく充実した合宿だった。
2つ目は、やっぱり常翔戦との試合。試合前練習が終わった後、藤森先生が3年のタックルを受けてくれた。自分は、とても嬉しかった!結果、負けたけど今まで最高の試合だった。
このラグビー部で学んだことは、絶対に通用すると思いました。
保護者の皆さん3年間応援ありがとうございました
廣瀬監督 藤森先生 森さん 岩澤さん 津金さん  今まで指導ありがとうございました!





中西一政(NO8)

この3年間とても充実してました。多分学校生活のほとんどがラグビーでした。
(ここからはとても雑ですがご了承下さい)
この部活を初めて見学へ来た時、スクールとは違い変わった練習をするなぁと思いました。とても楽しいし、走る練習は全くないし、練習時間は短いし…と思いましたが、どんどんメニューがしんどくなってきて帰る時間も遅くなるし、とても大変な毎日でした。1年の頃は、全く試合で勝てなくてしぼりばっかりさせられるし米はたくさん食べさせられるし、苦痛ばかりでした。でもそのおかげでどんどん勝てるようになってきて、体重もとても増えました。2年では大家さんや安井達とひたすらタックルをやってた気がします。3年では、試合の時期にたくさんケガして周りに迷惑かけたとおもいます。特に啓光戦でのケガはとても悔しかったです。あとフィットネスもたくさんしました。2年間走らなかった分、体力がすごく落ちてて吐きながらも必死に走りました。公式戦でキャプテンをやらせてもらった時は何をしたらいいか分からなくオドオドしてた気がします。この時、初めて津志田を尊敬しました(笑)
そして11月3
日、常翔に負けてしまい、引退しました。とても悔しく、あの時もっと頑張っていればとか、たくさん後悔しています。正直、また1年に戻りたいです。1年2年には、絶対後悔しないように今まで以上に頑張ってほしいです。
辛いことや苦しいことがたくさんありましたが、その分喜びもありこの3年間とてもいい経験になりました。
応援して下さった方々、いつもサポートしてくれたマネージャー、指導して下さった、藤森先生、廣瀬先生、森さん、津金さん、そして今まで一緒にプレーしてきた仲間達、3年間ありがとうございました。
ついでに引退試合は暴れるつもりです(笑)




小池晃弘(HO)

高校三年間がこの先一番濃密な時間であったと思います。入学した時は、ラグビーというスポーツは知っていたけれど、ルールは全く知らなかったです。たぶんいや絶対小仁に誘われなければ、ラグビーをやらなかったと思います。
今思うと、入部時の練習は楽しかったです。それが段々しんどくなって何回やめようかと思ったか多すぎて数え切れません。そして先輩らが東海大仰星に0対57で負けた時に、先輩らに声を掛けてもらいもうどんなことがあっても辞めない、自分の代で絶対花園に行くと決心しました。そして新人戦は決勝まで行き大阪桐蔭に0対89で完敗。本当に悔しかったです。でも本番はここじゃない秋に大阪桐蔭に追いついて追い越してやると決め必死に練習してきました。
三年になって左肩を脱臼してしまい、復帰してもすぐ外れの繰り返しでした。正直チームに迷惑をかけて本当に申し訳ない気持ちでした。
そしてすぐにきた全国大会予選準々決勝相手は昨年度覇者の常翔学園。この日緊張しすぎて5回はトイレに行きました。笑 絶対に勝ってると思っていましたが結果は0対39で負けました。悔しすぎて涙が止まりませんでした。これから11月3日という日はこの先一生忘れることはないと思っています。
最後に今まで大変お世話になった廣瀬先生、藤森先生、岩澤さん、森さん、津金さん今まで本当にありがとうごさいました。1、2年生練習したら絶対にうまくなるから練習しまくって絶対花園にいってくれ、本当に今までありがとー!






道場 孝裕(FL)

11月3日、ノーサイドの笛を聞いたとき、僕は唖然としました。悔しくて泣くに泣きました。もうこいつらとはラグビーが出来ないんだ、僕の3年間はこれで終わったんだと思いました。
次の日、休日なのに練習がないことにすごく違和感を感じました。前日の試合を思い出して悔しくて悔しくて何度も泣きそうになりました。
とまあこんな風に書きましたが本当に悔しいんです。悔しくて悔しくてたまりません。しかしいつまでも悔しがっていては前に進めないのでこの先どんなに苦しいことがあってもこの悔しさをバネにして乗り越えて行こうと思います。
あと僕はとても恵まれていたと思います。ラグビーが出来る最高の環境、ラグビーを教えてくれる最高の指導者、最高の先輩、後輩、マネージャー、同期、いつも支えてくれていた両親。こんなに恵まれていてぼくは幸せ者です。もう言葉では言い表せないほど感謝しています。
高1の時から普段の練習中から怒られ、体重のことでも怒られ、何度も辞めてやろうと思いました。でも辞めずに続けて本当に良かったです。最後は試合に勝ちたかったですが、この仲間とラグビーが出来て本当に良かったです。僕のラグビー人生の中で最高のチームでした。最後になりましたが3年間本当にありがとうございました。






三寺 寿弥(PR)

僕は高校生活の中でラグビーをしている時が、一番自分らしくとても充実しいました。練習はとても厳しく、ほとんどoffはありませんでしたが、気を許せる同期がいて、辛い練習後には、明るくてユニークな後輩がいて、いつも部の雰囲気をなごませてくれました。また、マネージャーは、僕達の体が大きくなる為に、いつも一生懸命おにぎり作ってくれたり、試合の前には、必勝祈願の御守りも皆に作ってくれました。その仲間と過ごせた3年間は、とても大きな財産になりました。

1年生の秋の大阪府予選が、初の公式戦になりますが、この時は3年生がいなくて人数的が足りず、僕はルールも良く理解できていないままで、③番のユニフォームを着てグランドに立つことになりました。正直、今までに味わったことのないプレッシャーがあり、前日から食事が喉を通らず、一睡も出来ずに試合に望んだのは、今でも思い出します。
その後の1年生の新人戦(常翔戦)113ー0で完敗でした。3年間で唯一スクラム中に涙流した試合でした。今までの練習では六強には勝てないのだと分かり、その後は今まで以上に練習が厳しくなりました。
高校最後の試合も常翔戦となり、39ー0という結果でしたが、スクラムを組んで確かに強いと感じましたが、凄いとは感じませんでした。今に思うと、1年生の新人戦後の練習は、常翔に勝つための練習だったのかもしれません。FWを強くするために全力で指導してくださった森コーチ、頭脳プレーを指導してくださった藤森コーチ、本当にありがとうございます。そして、いつも温かく支えていただいた廣瀬監督、友次先生、津金コーチ、ありがとうございました。この早稲田摂陵でラグビーと仲間と素晴らしいコーチ、監督に出会えたおかげで成長出来ました。




安井 健太朗(FL)

長かったようで短かった3年間というとベタなんですけど、心底時間が経つのが早かったと今になって思います。試合への準備としての時間、勝つことが出来なかったことへの気持ちの整理をつけるための時間、そして仲間達といた2度と返っては来ない時間…。入学当時はみんな素人で少し戸惑うこともありましたが何より素人のみんながみんな自分よりも身体が大きい(笑)。これはもしかすると、なんていう想像もしてました。最初はやっぱり勝てなかったのでなかなか精神的にも苦しかった。同志社香里との公式戦が全ての始まり、目標とするべき基準になったと思っています。
2年目は経験値の高さで勝てるようになり、自信もつき、チームとしても良かったけど最後に少し崩れてしまった。最終的にはそれを乗り越えるどころか大きく飛び越えたと思いました。熊澤組から学んだものは数え切れません。自分達の代、津志田組の代を迎えて自分は本当に花園を、荒ぶるをとれると思っていました。しかし、新人戦決勝では後に春の王者となる大阪桐蔭に
完敗を喫しました。ここまで差があるのかと絶望感が大きかったです。春季大会の啓光戦では本当に悔しい思いをしました。あの時は引退してしまうくらいの泣きっぷりでした(笑)。そのくらい悔しかった。2回目の大阪桐蔭戦では差が少し縮まりつつあるとは思いましたが本番はここからだと気を引き締めました。この後からは刻一刻とラグビーできる時間がなくなったいくのが感じられ、それは恐怖でもありました。本当の意味で最上級生として自覚が芽生えたのではと思います。
結果なのですが、自分は中学時代も高校でも最後の試合に先発していません。去年は大怪我でした…(笑)。けれど高校最後の公式戦となる常翔戦での試合時間は3
年間を表現するのには十分だったと思っています。試合の内容は記憶から消えているのですが、間違いなくベストゲームだったと言えます。あの時はみんなの前だったこともありますが、吉田が言ったように悔しくて死んでも死にきれない思いです。今もそう思います。何をしてても、どこにいてもこの悔しさは忘れられないと思います。けれどこの経験を糧に努力を惜しまず、目標へと前進していける人になれるように一生懸命頑張りたいと思います。まだまだ書きたいことは山ほどありますが長文になっているのでこの辺で。今までの人生で最高の仲間、そして恩師となるコーチ達、両親に感謝して。3年間ありがとうございました。





上野 聖司(PR)

僕は今年でラグビー暦7年目になるのですが
その中でも、この3年間はとても熱くなれた3年間だと思いました。
辛いこと大変なこともあったのですが、今になってはいい思い出です。
引退してから思ったことがあります。
自分はたくさんの人達に支えてもらっていたんだと思いました。
親・コーチ・チームメイトなど色々な人達がいなければ、自分はここにいなかったかもしれなし続けていなかったじゃないかと思いました。
支えてくださった人達に感謝の気持ちでいっぱいです。




奈良 拓哉(SH)

まずこの部活に入ったのは中学の時からお世話になっていた藤森先生がいたので入りました。この部活に入って藤森先生の性格が中学の時とは全く違うことに驚きました。笑
今あたりまえのようにある厳しい指導などは中学の時は全く無くいつもニコニコしてました。笑
そんなこともあり結局は最終学年の担任も藤森先生で少し怖いですけどいろいろと縁があると感じました。
11月3日、常翔学園に負けた。この日は一生忘れることはない。
長いようで早かった三年間。この三年間は今まで人生の中で一番濃密な時間でした。この部活に入って正直真剣に部活辞めようと思ったことがたくさんありました。でもその中で仲間に助けられ厳しい練習に耐えやってきました。春季大会ではベスト6の常翔啓光相手にら14ー5。結果は負けてしまったがここまでやってきた達成感はありました。

夏合宿の前に怪我をしてしまいBチームからスタートし悔しかっけど乗り越えていき、あっという間に全国大会予選が始まりキャプテン、副キャプテン不在の中勝ち進んで
いきました。
この調子なら常翔学園に勝てると思っていたが結果は39ー0。
試合が終わった後も負けた実感が湧きませんでした。あんだけ辞めたかったのにもうグランドには選手として立てないのが寂しく思いました。
しかし早稲田摂陵のラグビーができて誇りに思います。三年間お世話になった廣瀬先生、藤森先生、森さん、津金さん、
マネージャー、今までありがとうございました。
あと藤森先生、津金さん
自分は最高学年として全く頼りなかったですが最後まで信じてくれてありがとうございました




間瀬 健一 (主務)

11月3日、3年間で最も濃い60分間でした。
入学当初、僕は選手として入部しました。しかし、ケガをして選手としてはもう復帰できなくなりました。何度も辞めようと思いました。そんな中、同期の仲間が励ましてくれ、藤森先生から「主務をやってみないか?」と誘いを受け、今の役職に就きました。僕は幸せです。普通なら辞めてしまえと言われてもおかしくない立場なのに、スタッフとしてチームに残してくれてとても感謝しています。
3年の9月22日試合ラスト5分、最初で最後の赤黒で試合に出させてもらいました。当日の朝(当時合宿中)に藤森先生から試合に出ると伝えられ、この3年間の事を何度も何度も思い返し、決意表明で気持ちを全てぶつけました。全力でプレーして、僕の3年間をグランドで体現することができ、同時に仲間に認めてもらえた様な気がしました。
こんなにも素晴らしい仲間と共に戦った60分間。僕はグランドの外から全力で応援することしかできなかったが、その分チームを全力でサポートすることができました。
入学してから今まで共に練習し、共に同じ釜の飯を食い、試合後に共に泣き、共に抱きしめあった同期の仲間達、ありがとう。
来年は花園へ行くと約束してくれ、僕達の思いを受け継ぐと言ってくれた後輩達、ありがとう。
失敗ばかりで迷惑をたくさんかけてしまったけど、日々おにぎりや水を汲んでくれて、さらに色々な要求に答えてくれたマネージャー、ありがとう。
僕をここまで成長させてくれた、廣瀬先生 藤森先生 友次先生 森コーチ 津金コーチ 岩澤コーチ、ありがとうございます。
最後までわがままな要求や意見を聞いて、手伝ってくださった保護者の皆さん、ありがとうございます。
たよりない主務でしたが、とても充実した楽しい3年間でした。これからもこの経験を生かして人生を歩んでいきたいと思います。
津志田組に感謝を込めて、ありがとう。









藤岡 亜沙子(マネージャー)

引退した今、まず言えることはラグビー部に入ってよかった!ということです。

私は特にやりたいこともなかったので高校でも部活をするつもりはありませんでした。そこで声をかけてもらったのがラグビー部でした。
始めはラグビーのことなんて何も知らなかったし、正直私がマネージャーなんて出来るわけないと思っていましたが、部活に行ってみると楽しくて不安はありましたが入ることに決めました。
最初の頃は練習試合でも負けてばっかりで合宿中も怒られてばっかりだった気がします。私たちもマネージャーの先輩がいないこともあって何をやっていいのか分からず迷惑をかけたこともあります。
辞めたいと思うことも何度もありました。でもこうやって続けられたのは「いつもありがとう」と言ってくれたり相談にのってくれた先輩方や同期、先生のおかげです。

11月3日の常翔との試合で本当に強くなったかっこいい選手たちを見て、結果はどうであれ感動させられました。涙が止まりませんでした。こうして続けられて本当によかったと思った瞬間でした。
今までしんどかったこともあったけど楽しい思い出もたくさんできて、ラグビー部のマネージャーとして高校生活を過ごせてよかったです!!

先生方、ラグビー部員、マネージャーのみんな、保護者の方々、今までありがとうございました!!





辻井 花織(マネージャー)

11月3日の常翔学園との試合のノーサイドの笛を聞いたとき
本当に涙が止まりませんでした。
そして色んな思いが溢れてきました。
最初は正直あまり深く考えずに入ったラグビー部。
楽しいこともたくさんあったけど
つらいこともいっぱいありました。
けれどもラグビー部に入って後悔したという感情は一切ありません。
そう思えたのは
優しい先生やかっこいい先輩、おもしろい同期や後輩にすごく恵まれていたからだと思います。

三年生になってからは
勉強という大きな壁があったので
まったくラグビー部とは関わりが持てませんでした。
けれども
ラグビー部と関わっていない間も心のどこかでやっぱり気になってました。
だから、試合を見に行くのが
強くなった姿を見るのがすごく楽しみでした。
本当にラグビー部が大好きでした
たくさんの経験もでき
素敵な仲間にも出会えました。

ラグビー部に入って本当によかったです!
今までありがとうございました!
私は早稲田摂陵ラグビー部で色々な経験をさせてもらいました。振り返ってみると、辛いことも楽しいこともたくさんあります。



濱谷 佳那江(マネージャー)

私がラグビー部に入ったきっかけは体験に行き、楽しそうな部活だと感じたからです。最初はラグビーのことも全く知らず、マネージャーとして何をすべきかもわからず毎日勉強でした。一年生の夏は体力的にも精神的にも辛く、何度も辞めようと思いました。しかし、以前は負けていた相手に勝てるようになり、マネージャーとしてやりがいを感じ、私はラグビー部がどんどん好きになりました。

ラグビー部での思い出は私にとって大切なものです。本当に充実した時間を送ることが出来たと思います。先輩、後輩、同じ学年のみんな、先生方そして保護者の方々、本当に支えていただき、三年間ありがとうございました。